<チャットにあった質問で、当日扱えなかったもの>

Q 作品にふりがなを付けたほうがいいのではないでしょうか。

A ルビなし版と、総ルビ版を作って、両方をホームページにアップする予定です。

Q 「多読学習材」という呼び方は「教材」ではないという意図でしょうか。

A そうです。多読を通して学習を促進するための材料という意味を込めてこの用語を使っています。

Q 中上級よりも初級の方が、読み物が足りていません。海外の学生で環境問題に興味がある学生は多いですが、初級向けのものがありません。初級用、超初級用の読み物を書く予定はありますか。

A できるかぎり初級で読めるものも作れるように試行錯誤していますが、実現できていません。今回はN3程度を目安にしていたので、今回の試作とは違った形で初級向けのものも作れるように試みたいと思います。

Q 『10分で読める』シリーズを知っていますか。いろいろおもしろいストーリーがあります。

A 知っています。絵本、岩波ジュニア新書、『かがくのとも』、『たくさんのふしぎ』、『5分後に○○』シリーズ、『54字の物語』シリーズ、『中学生までに読んでおきたい日本文学』シリーズ、同哲学シリーズ、『よりみちパン!セ』シリーズなど、母語話者向けの書籍で多読に向きそうなものもウェブサイトで随時紹介していくつもりです。

Q 書き手に(一般の人ではなく)日本語教育関係者を選んだのは、レベル調整の観点からですか。

A 日本語学習者を読者に想定しているため、日本語学習者をよく知る日本語教師が適当と判断しました。

Q これらのエッセイを使って、「比べる」、「調べる」、「話し合う」ことを目指しているのですか。

A いいえ、その意図はありません。会議中に出た「比べる」「調べる」「話し合う」というキーワードは、そこで紹介した『クローズアップ日本事情15』(佐々木瑞枝著,ジャパンタイムズ,2017年)においてのことです。

Q 「多読」のための教材は「多様」で「多彩」なテーマで書かれたものを、楽しく読み進める、だけでなく、調査・議論を含めた「読解クラス」でも、それを記述にまとめた「アカデミックライティング」でも使える、ということがこのグループの意図している方向性ですか?

A 違います。あくまで多読のための読み物を提供するのが趣旨であって、それ以上の意図はありません。提供した読み物をどのように使うかについては、利用者の判断に任せるという姿勢です。

Q 学習者に読んでほしいというより、学習者が読みたいだろうなという読み物を準備するのが正しいのではないでしょうか。

A 好みは人によって違うので、たとえ大多数が読みたいと思わなくても、読み物を提供しておくことには意味があると考えています。それを選択するかしないかは、読み手に任せます。

Q 「多彩な読み物を多様に」と「学習者が興味があるものを」を両立させるのは、難しいのではないでしょうか。例えば、学習者はストーリー性のあるものを読みたがって、社会的なものは読みたくない場合、どう「多彩なものを多様に」読むように持って行くのでしょうか。

A 学習者は、日常生活で、ウェブの記事やブログ、新聞、雑誌、漫画など、「多彩な」読み物に接しているし、接する必要があります。「多様に読む」と言うときの「多様性」の意味は、精読、黙読、視読、スキャニングなど、「読み方」の多様性や、一人ではなくみんなと読むなど、「読み手」の多様性、読みのメディアの「多様性」など、いろいろな意味を込めています。言語習得の一つのアプローチとしての多読を狭義の多読とするならば、これは広義の多読と言えるかもしれません。「多彩なものを多様に」読むのは、日常生活での読み、普段行っている読みを上達させることにつながります。

Q 書籍ではなく、ウェブ媒体であることを活かした展開を考えていますか。コンテスト形式にするとか、ランキングをつけるとか、読み手にコメントをしてもらうとか。古くなったネタの更新はどうしますか。

A 古くなったネタを新しい情報に更新するなど、必要に応じて読み物を改変することは考えています。コンテストやランキングなど、読み物作成を推進し、読みを促進するような仕掛けは、今後検討するつもりです。

Q 今回の作品をどのような授業を想定して書きましたか。トピックで学ぶ日本語学習のようなイメージに思えます。

A あくまで多読のための読み物作りを目指しているので、授業で使うことは前提としていません。仮に授業で使うのであれば、多読を行う授業で、一つの読み物として扱うような場合です。それ以上の意図はありません。

Q 「たどくのひろば」の想定読者は、大学生や大人ですか。

A 特に指定はしていませんが、書き手が普段接するのが大学生や成人学習者なので、それを想定しながら作っています。もちろん、それ以外の学習者が読んでもいいし、そのような学習者が読むようなものも作って公開できれば、なおいいと思います。

Q 読者に、継承語の10代、中高生なども視野に入れていますか。

A 先の答えと重複しますが、継承語の10代や中高生を主に想定して作ってはいません。しかし、興味があれば、それらの人たちにもぜひ読んでほしいです。継承語の10代や中高生がどのようなものを好んで読むかは分からないので、その方面に強い人が読み物を作ってくださることに期待します。

Q この読み物を作成した過程を詳しく知りたいです。

A 『日本社会再考』(佐々木瑞枝・門倉正美共著,北星堂,1991年)という書籍があります。そのアップデート版を作ることから話は始まりました。しかし『日本社会再考』は読解を問う問題などがあり、読解教材の性質があるため、その部分を排し、純粋な多読読み物として作ることにしました。社会的な内容を取り上げたのは、そのような多読読み物が少ないと感じたからです。

手順としては、まず7名の書き手が、自分が選んだテーマで書くこと、一つのテーマで4つのトピックの読み物を書くこと、書き手のオーサーシップ(個性・メッセージ性)を出して書くことなどを決めました。作成にあたっての共通認識は以下の通りです。

- 自分が興味を持っているテーマについて書く。

- 一つのテーマについて4つのトピックを立てて書く。

- 4つのトピックを立てるが、それらは今後増やしていくそのテーマでの読み物群の一部であるという認識で書く。

- 書き手のオーサーシップが表れるように書く。

- 読み手の知的好奇心を刺激するようなものを書く。

- 想定する読者の日本語レベルはN3程度とする(が、強く強制するものではない)。

- 一つの読み物の字数は1200字を目安とする(が、強く制限するものではない)。

- 作品はウェブサイト「たどくのひろば」で無料公開する。

想定レベルをN3としたのは、社会的なテーマを扱ったN3程度の読み物が少ないのではないか、社会的なテーマで読み物を作るにはこれくらいのレベルを想定しないと作るのが難しいのではないかと考えたからです。また、1つの読み物の字数を1200字程度としたのは、N3程度の学習者が社会的なテーマの読み物が読める限界字数がこの程度だろうと主観的に判断したためです。

この前提のもと、7名の書き手が試作を1編ずつ書きました。それに全員が目を通して議論し、テーマや書き方、内容など、人によっては大幅に変更することになりました。

議論の過程で、想定レベルをN3程度としていましたが、内容と表現のバランスから、今回は日本語レベルを強く統制するものではなく、目安にとどめることにしました。仮に日本語レベルを統制するならば、できたものをリライトする、もしくは難しい版とやさしい版の両方を作って公開することも考えています。

最初の大幅な改訂を経て、そのまま各自4つのトピックで試作を作りました。それに全員が目を通して、コメントを出し合い、再び各自で修正を行いました。それが、本パネルで公開した試作です。

<事後アンケートからの質問>

Q 試作のレベルが、中級後半が多かった理由は何ですか。

A 当初はN3(中級前半程度)を想定しましたが、作成を進めるにつれて、日本語レベルと内容・表現の豊かさとのバランスから、今は日本語レベルを強く統制せずに、読み物の完成を優先しようということになりました。日本語レベルを統制するような手続きを行っていない試作を今回のパネルで提示したため、中級後半と感じるものが多くなっています。

Q 今回の事前資料の多読教材は、だいたいそれぞれどのくらいの執筆期間をかけて作られましたか。

A 2020年4月に第一回の会議を行ってスタートしたので、それも含めると約半年です。方針が決まって、実際に執筆を始めてからは2,3か月です。

Q 読解と多読の違いをどう捉えているかについて、よくわかりません。

A 日本語教育現場における読解授業は一般的に、読み物を読んで問いを解き、語いや文法や指示詞などを詳しく分析的に見て内容を理解していく精読が行われることが多いと思います。そのような、内容理解に関する課題を課せられた状況下で文章を言語分析的に精読すること、また、それを行って日本語能力を向上させようとする教室活動が、いわゆる読解、読解教育だと認識しています。その特徴としては、教師が読む物を決めるので学習者に読み物を選ぶ権利がなく、問いに正しく答えることだけが正しい読み方であるとされる教師主導型の読みであることが挙げられます。

一方多読は、学習者が読む物を選択できて読み方も自由な、いわば、学習者主体の読みです。内容が正確に理解できたのか確認されることはなく、全てを正確に理解している必要もありません。読後の問いは課せられることは(ほとんど)なく、読むことに対するプレッシャーが小さいと言えます。そのような読み方で多くの(また多彩な)読み物を(ときに多様に)読んで、言語能力を向上させようとするのが、多読によるアプローチだと考えています。

本パネルで示した試作は、この多読の考えで読まれるような読み物を想定しています。

Q ストーリーのある「読み物」だけでは問題だという点について、もう少し踏み込んで知りたかったです。

A 問題だとは言っていません。多読には多彩な読み物があったほうがいいので、ストーリー性のあるものじゃないものも作ってみましたというのが趣旨です。

Q このグループで「知的」「教養がある」などと言っているのは、具体的に一体どのようなことを指しているのですか。

A 今回試作で作った読み物の中心となる想定読者が大学の留学生であるため、彼/彼女らは大学に行くぐらいだから一定水準の「教養」があり、大学という場で「知的」活動を行う人たちであるはずです。今回の試作がそれを満たしているかは別問題ですが、そのような人たちの「知的好奇心」を刺激するような読み物を作ることを目指しています。そういった文脈で「知的」「教養がある」という言葉を使っています。

Q 授業で読解教材として加工(リライトを含め)を容認する方向ですか。加工した場合、オーサーシップがなくなるかもしれませんが、それはいいのですか。

A あくまで読み物を提供することが我々の意図で、それをどのように使うかについては、一切関与しません。それは使う人の自由なので、肯定も否定もしません。加工することによって最初の執筆者のオーサーシップがなくなったとしても、特に問題はないと考えています。

Q 「何のための多読?」というタイトルへのパネラーの考えがよくわかりませんでした。多読(多聴、多観を含む)は、大量のインプットがあって初めて効果があり、よって、すらすら読めるものをわくわくしながら読むのだと思いますが、それとは異なる考えがあるのですか。

A これについては、当日に十分に説明できませんでした。ご質問の指摘と、私たちの狙いに大きな齟齬はありません。ただ「わくわく」には、ストーリーのおもしろさだけでなく、知的好奇心が刺激されてわくわくすることも含んでいると考えています。

Q この企画の目標はどこにありますか。多読のためのハブになるサイトを作り、そこに読みものをどんどんためていくということですか。

A 「企画」が具体的に何を指すのかはっきりわかりませんが、我々の活動の一つの目標はそうです。あわせて、より多くの方に多読読み物の書き手を志してほしい、という期待も持っています。また、読み物の作成のほかにも、多読に関する研究も行っています。それらは、本パネルの内容やメンバーとは別に行っています。

Q 事前配付資料の読みものはまだ試作の段階と言っていましたが、この段階では、旧来のクラス授業で使う読解教材の読みものとほとんどかわらないと判断します。どこに違いがありますか。

A 一つの読み物として成立する、わくわくするような読み物を作ろうと心がけましたが、そうなっていないならば書き手の力不足としか言いようがありません。精進するのみです。

ただ、そうした「精進」を、より多数の日本語教師の間で分かち合いたいという思いをもっています。既成の「読解教材」のみに頼らないで、教師ごとにオーサーシップを、可能な範囲で発揮していただけたらいいのではないか、と思っています。

Q 試作が大学の授業みたいな・・・勉強に偏重にしている気がしました。ウェブサイト「多読のひろば」には、生活者やビジネスパーソンなども訪れると思いますが。

A 「知的好奇心を刺激する読み物」というねらいから、「大学の授業」や「勉強偏重」の感じを与えるようなものに、結果的になってしまっているものが多いかもしれません。「わくわく感」や「楽しい感」については、前項で述べたように「精進するのみ」ですが、生活者やビジネスパーソンであっても、いろいろな角度からの「勉強」も必要なのでは?ということは述べておきたいと思います。

また、「たどくのひろば」のウェブサイトには、今回の試作の他にもいろいろな読み物をアップロードしていきます。それらは、今回の試作と異なる考えで作られているので、生活者やビジネスパーソンが読みやすいものもあるかもしれません。